日本棋院围棋殿堂表彰委员会昨日(7/21)决议吴清源大师入选第12回围棋殿堂,吴清源大师曾于2009年入选第六回围棋殿堂,但以尚在修行的理由而自请辞退。
2004年日本棋院创院八十周年,于是提出了设立围棋殿堂的构想,11月15日创立了围棋殿堂资料馆,每年选出一位或多位对围棋做出卓越贡献者,先由提名委员会成员提名,每一位须三位提名委员会同意方能列为候选,候选名单再交由表彰委员会投票,三分之二以上同意则入选,并由日本棋院理事长认证。
吴清源(围棋大师)
吴清源,1914年6月12日(农历五月十九日)出生于福建省福州市的名门望族,后举家迁入北京,很早即在围棋上表现出过人的天分。11岁时就成为北洋军阀段祺瑞门下的棋客,并以“围棋神童”出入段祺瑞府邸及北京中央公园(现中山公园)来今雨轩棋席,14岁东渡日本,开始其职业棋手生涯。1933年,年仅19岁的吴清源运用自创的“新布局”,对阵本因坊秀哉名人,翻开了围棋史上崭新的一页。1936年,抗战爆发前夕,吴清源加入了日本国籍。
因为在十番棋擂台击败了当时所有超一流高手,被称为“昭和棋圣”。他一生雄踞“天下第一”的无冕王位,提出了新布局思想以及以大雪崩内拐为代表的吴清源定式,晚年又将毕生精力放在了提携后进、促进围棋国际化和中国围棋的发展上,他更以毕生之体悟,融汇古老的中华文化,提出21世纪的围棋——六合之棋。
2014年11月30日凌晨1时11分,对围棋做出革命性贡献的吴清源大师在日本神奈川县小田原市内去世,享年100岁。 原文: 【ニュースリリース】呉清源九段が囲碁殿堂入り(第12回囲碁殿堂表彰)7月21日、日本棋院において「囲碁殿堂表彰委員会」が開催され、第12回囲碁殿堂入りとして、呉清源九段(ごせいげん、日本棋院名誉客員棋士)が選ばれました。 有識者、マスコミ関係者、日本棋院役員、棋士で構成された表彰委員会委員の内、出席された12名により、事前にノミネートされた候補者の中から投票により選出されました。 囲碁殿堂入りを果たした呉清源九段に対しては、顕彰レリーフを制作し、日本棋院会館地下一階の「囲碁殿堂資料館」にて展示を行う予定です。
- 1. 囲碁殿堂入り決定者の経歴と主な業績
呉清源 1914(大正3)年-2014(平成26)年
中国福建省出身。「昭和の棋聖」と称される。 囲碁の天才少年として評判となり、日本の棋士にも知れ渡り、犬養毅や大倉喜七郎などの助力を受けて来日する。瀬越憲作門下となり、昭和4年三段を免許される。 木谷實とともに「新布石」の創始者としても知られる。 「打ち込み十番碁」で当時のトップ棋士をすべて先相先ないし定先に打ち込み、第一人者として君臨。 門下に林海峰名誉天元。 |
- 2. 今回のノミネート者
寛蓮、林元美、井上(幻庵)因碩、正岡子規、雁金準一、正力松太郎、呉清源、趙南哲 - 3. 過去の殿堂入り
第1回特別創設記念表彰:徳川家康、本因坊算砂、本因坊道策、本因坊秀策 第2回特別創設記念表彰:本因坊丈和 第3回表彰:本因坊秀和、大倉喜七郎 第4回表彰:本因坊秀甫 第5回表彰:本因坊秀栄、本因坊秀哉 第6回表彰:瀬越憲作 第7回表彰:木谷實 第8回表彰:岩本薫 第9回表彰:安井算哲(渋川春海)、陳毅 第10回表彰:喜多文子 第11回表彰:橋本宇太郎
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